剛柔会空手道は、沖縄の古武術と、中国福建省に伝わる武術。主に「中国南派拳術」が融合し、誕生した空手道と云える。 沖縄が、まだ琉球と呼ばれていた時代、度重なる禁武政策によって、武器を取り上げられた農民が、「徒手空拳(手に何も持たずに戦う事)」による格闘技、「手(ティ)」を生みだした事が、空手道の始まりと云われている。 その後、「唐手(トーテー)」と呼ばれる様になり、沖縄各地に広がって行く過程で那覇手、首里手など、後に流派と呼ばれる様になる源が出来上がるのである。 剛柔会は、那覇手にその源を置き、那覇手の大家、東恩納寛量を師とする、宮城長順により確立されるのである。 16歳で中国に渡った宮城長順は、中国拳法の多くの達人から、血のにじむ様な荒稽古を受けると共に、古い文献で理論も研究し、独特の呼吸法、気息の呑吐を完成させたのである。 剛柔流の名前は中国の古文献、「武備志」の拳の八句、「法呑吐剛柔」の一句で、「法は剛柔を呑吐する」の意味から、”剛柔流”と名付けられた。宮城長順は、それまでの鍛錬一途なやり方を改良し、予備運動・基本動作・基本型・開手型・整理運動・補助運動等、体育面からみても合理的な、空手道の練習体系を確立させ、修業による人格形成を重んじ、拳禅一致なる精神的な教示も多く残した。昭和12年、大日本武徳会から、空手道教士号を授与されるに至り、空手道は日本武道界から高い評価を受け、国内外普及への大きな足掛かりを印したのであった。 「法呑吐剛柔」とは、一切の存在、事象は全て「剛」と「柔」からなり、剛は陽、柔は陰となって万物を構成し、闘争における剛は攻めとなり柔は守りとしてその安全を計る。剛柔の一体化は闘争を避ける無我の心境へと導かれるのである。 |