東恩納寛量 先生 | |
1853年3月10日 | 沖縄県那覇市西町に生まれる |
1876年(明治9年) | 23歳の時、中国・福州へ渡り劉良興老師に師事する。 |
1888年(明治21年) | 帰国。周囲に懇願され、師弟の指導をする。 |
1917年(大正6年) | 病没。享年63歳。 |
宮城長順 先生 |
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1888年(明治21年) | 4月25日、沖縄県那覇市東町に生まれる。 14歳の頃、東恩納寛量先生の門に入る。 |
1915年(大正4年) | 5月、中国拳法修行のため福州に渡り、研鑽に努める。約1年後、東恩納先生病没のため帰国。 |
1929年(昭和4年) | 4月、沖縄県警察練習所と那覇市立商業高校に空手が正課採用され、その師範に迎えられる。 |
1930年(昭和5年) | 11月、沖縄県体育協会に空手部が創設され、その空手部長に推される。 |
1934年(昭和9年) | 4月、ハワイ「洋国時報社」より招聘を受け、翌年2月までハワイ各地で空手道の指導に当たる。 |
1937年(昭和12年) | 5月5日、大日本武徳会主催、武徳祭に於いて演武を披露し、全国初の空手術教士の称号を授与される。 |
1938年(昭和13年) | 4月、沖縄県師範学校の空手師範に任命。 |
1945年(昭和20年) | 沖縄民政府が設けられ、警察学校の教官に任命。 |
1953年(昭和28年) | 10月8日、没。享年65歳。 |
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