福岡大学 監督 西村誠司 福岡大学 監督 西村誠司 8月29日(水)
8月22日(水)晴れ
半年間掛けてフィジーの安藤先生、ニュージーランドのデニス・メイ先生とやり取りし実現した合同ホームステイー合宿である。最初は近畿大学工学部の松元和昭監督から誘いがあり乗ってしまったのだが、松元君は忙しいので「先輩交渉お願いします」の一言で受けてしまったのが始まりである。実現するまでは随分心配しながら根気よく進めていった。
松元監督は解っていないだろう。しかし、当日になってしまえば後は行くだけである。だが、神様が行くなといっているのか不吉なことばかり起こってしまう。女房の真理子が尿道結石で福岡大学に緊救入院してしまう。残された子供達には気の毒だが東京の実家に預かって貰い、何とか合宿に参加できるようにした。前日まで真理子を見舞い、「こんな
私を置いて行くのね」と後ろ髪を100メートルぐらい引っ張られて、福大病院を出ると直ぐに交差点で赤信号で突っ込んできたバンに当てられた。謝ってくれたので何とか修理工場に持っていき不在中に直してもらうよう手配する。最後は女房が居ない家で悪戦苦闘しながら荷造り、家の掃除していたら朝になってしまった。これでは飛行機が落ちるんではなかろうかと思い空港へ。色々なことが続いたが気持ちを切り替えて海外合宿の成功に頑張りたい。遅刻したが、無事全員揃って出発。見送りの残留部員に送られ09:30KE782便にてソールへ。新しい仁川国際航空は広く綺麗な空港となっていた。大韓航空のサービスで市内観光に出かける。プルコギ(焼き肉料理)で昼食を取り、時間があったのでたこ八ゲームで、キムチ、ニンニクを罰ゲームで食べさせたところ、何人かが腹痛で便所に駆け込んでいた。宝石店、お土産店など連れていってくれたが、学生なので誰も買わなかった。しかし、来年あるワールドカップサッカー競技場は、広大な敷地に建設中で素晴らしい建物であった。
フィジー・ニュージーランド合同合宿
出発日 福岡国際空港にて福大生と
空港に18:00帰り、近畿大学と合流、結団式を行う。東京からフィジーの安藤先生も合流し、心強い。合計38名の大所帯である。事故など気をつけて楽しんで国際交流し、空手を向上させようと挨拶する。20:40発の便にて10時間の空の旅の間、小生はずっと寝ていた。飯も食わず起きたのが、10分前であった。本当によく寝た。これなら毎回朝まで起きていったら良いだろうが、今回は座席が空いていて横になっていけたからであろう。
8月23日(木)晴れ
09:45フィジー国ナンディ国際空港着。空手道連盟の役員の方々の出迎えを受け、連盟から貸し切っていただいたエアコンなしのぼろぼろバスに乗り込む。関税から一人だけ高校生の宮地君が出てこない。何でもスーツケースのベルトがなかったので文句言っていたらしい。なかなかやる。3時間もの凄い騒音を吐きながら、海岸線をドライブする。全員揺れ心地がよく寝る。
フィジー国 スパ市にて 連盟の歓迎会「カバの儀式」
16:00首都スパの町に到着。10万人の港町であり、経済も砂糖生産と漁業ぐらいしかなく観光が主力財源。新婚旅行に来る日本人が多いとのこと。しかし、スパは余り、経済的に余裕のある町ではない。また、全人口の80万人中の半分がインド系でイギリス支配時代に連れてきた人種であろう。フィジー人は顔つきはワニみたいに、凶暴な風貌だが得てして、すごく優しい人種である。非常に人なつっこいともいえる。すごい顔をした色の黒いおやじが民族衣装のスカートをはいて、耳に花をつけて歓迎の態度をされるとつい後ずさってしまう。
地域の教会集荷所に荷物を置き、ゆっくりさせる。安藤先生の好意で松元監督と小生はTRADEWINDS HOTELにチェックイン。海の前でなかなか良いホテルである。
19:00歓迎のパーティー。カバの儀式と言って南太平洋一帯に生える胡椒科の木の根を乾燥させたものを、水で溶かし、絞り出した汁を飲むことで、はっきり言ってまずい泥のような水だが、現地の人は霊力を養うと言って有り難く、何倍も飲んでいる。安藤先生は好きで20杯ほど飲むそうだ。それでも腹痛は起こさなかった。
半分はホテルに泊まり、あとはホームスティー先に行く。小生達は安藤先生の案内で、港に浮かぶ船の中のバーで一杯やる。体がぐるぐる回るので酔っぱらったかと思ったが、船が揺れていただけであった。
22:30ホテルに帰りメールチェック。フィジーは契約してないようでニュージーランドまで飛ばしてやっと繋がる。湿気がないので涼しい中ぐっすりと寝る。
8月24日(金)晴れのち曇り
08:00起床。ホテルの朝食を取りYMCA体育館へ。
フィジー空手道連盟 選手との合同練習会
09:00−12:00フィジー空手道連盟と合同練習。松元監督と交替で指導に当たる。まだまだの感の練習生だがみっちり熱心に取り組む。午後は日本大使館に挨拶の予定が、事務次官の都合がありキャンセルとなった。ホテルでプールサイドにてゆっくりする。持ち込みのラーメンとカレーを近代の福森君と食す。
19:00安藤先生が韓国料理店に行き、ご馳走してくれる。なかなか旨いプルコギだった。そのあと地下のカラオケに行き、久しぶりに歌う。松元君がなかなか旨いのどを鳴らしていたが、小生の方が100点だった。
23:30ホテルに帰り、メールチェック。松元監督の奥さんより連絡欲しいとのメールあり、松元君の部屋に電話するがでない。飲み足りずバーにでも言っているのだろう。連絡は明日にしよう。就寝
8月25日(土)快晴
7:45起床。朝食を食べていると安藤先生登場。同じ服で来たので昨日は帰らなかったようだ。奥さんは日本にいて10年間単身赴任だそうだ。良く離婚しないものだ。離れていると新鮮で良いとのこと。女房もそう考えてくれればよいが。
9:00−12:00フィジー連盟合同練習。今日は崩しを指導する。昼食後親善交流試合。ほとんど全勝だったが,佐藤と福田を下がる組手をしたために怒る。特に佐藤はナショナルチームとしての成長が観られない。海岸でも一晩中走っておれと叱る。一度ホテルに帰りシャワーを浴び、19:00町のバーを貸し切ってさよならパーティー。ご父兄の用意した地元料理の差し入れがあり、ご馳走になる。ディスコになっていたので学生達がアルコールが入り盛り上がってくる。幹事がそろそろ佐藤と福田を迎えに行ってよいかと聞くのでどうしたのかと聞いたら本当に海岸を走っていた。汗だくで途中参加してくる。えらい!!
21:00学生を置いて、町のバーに行く。なかなか良いバーでイギリスのパブそのものだった。もう一度カラオケに行き、今後のことなど色々話し合う。今日は松元君が100点を出した。24:00過ぎたのでホテルに帰り荷支度する。絵日誌、メールとチェック。明日は05:00起きなので早く寝たいが時間が掛かる。01:30寝る。
日本の友人に送ったメール感想文
フィジー国 スパでのホテルラウンジにて
拝啓、残暑厳しき折り、ご自愛下さい。
さて、福岡大学と近畿大学工学部の合同海外合宿(38名)をここフィジー諸島共和国にて行っていますのでご報告申し上げます。ソウル経由10時間のフライトでナンディに着き、歓迎を受けましたが現地フィジー人のワニのような顔をした大きな黒人が民族衣装のスカートを履き、耳に花を差して近づいてきたときは思わず後ずさりしました。しかし、見た目だけで野蛮人ではなく穏和で人なつっこい人達です。フィジーは四国ぐらいの大きさの島に80万人が住み、半分の人種がイギリス植民地統治時代の名残のインド人系です。
1643年キャプテン・クックなどの航海で知られるようになり、1987年には南太平洋初の無血クーデターを経験しフィジー共和国として現在に至ってます。日本人唯一の空手指導者安藤文洋先生のご厚意で現地ホームスティーなど体験し、国際交流親善に貢献出来るよう片言の英語で練習に生活に奮闘しています。ちなみにこちらでは真冬に当たりますが、30度ぐらいあり、泳げて朝夕は涼しい気候です。日本の新婚旅行が急増している美しい島々ばかりです。次回はニュージーランドより。
8月26日(日)快晴
04:45起床。眠たいが05:30出発なのでフロントに清算に行くと、預けてあったパスポートなどを受け取りたいというとマネージャーが持っていて起きてこないと言う。さすがに安藤先生も怒って催促するが、平然としてゆったりと行動している。ファジーなフィジーだなと思った。30分待たされてホテルを出る。学生の待っているアウトリガーホテルに行き、3時間掛けてナンディ国際空港へ。
11:00発のニュージーランドのオークランド国際空港まで2時間20分のフライト。着いてみるとやはり寒く、これでも例年より暖かいとのこと。もう少し冬物を持ってくれば良かった。クライストチャーチは道路が凍っているとのこと。デニス・メイ氏、モンク親子先生、など20人の父兄が迎えに来ていて、モンク氏の道場で集合する。軽いウエルカムパーティーのあと、ホームスティー先に振り分け、各自解散する。一家庭に1−2名の割合で引き取ってくれいい環境である。
ニュージーランド国オークランド
デニス・メイ市連盟会長と松元監督
その後道場上のモンク氏の家でくつろぐ。モンク氏は横浜出身の奥さんがあり、日本語堪能な親日家で大変いい人に感じた。風神流という杉原拳風先生が作られた新興流派所属である。小さな道場に120名の生徒が居て、ヨガやフィットネスジムも完備している。35歳で日本で料理人をしながら修行したとのこと。今後の空手道人生に夢を持って進んでいる人と話すのは気持ちがいい。日本料理店「東京」で家族でご馳走になる。
10:00近くのモーテルに宿を取って貰えたので、松元君とチェックイン。日誌・メールをチェック。
7月27日(月)
8月27日(月)快晴09:00起床。モーテルの食堂に行き朝食を頼むが09:00迄だったので悪いことをした。
モンク氏が迎えに来てくれ、近くのスーパーに行く。食料品ばかりですぐに出たら学生達が10人くらい集まってきた。余り行くところはないのだろう。また、ホームスティーの方々も働いていることが多く、昼間はする事がない状態である。お昼にモンク道場に行き、松元君とウエイトトレーニングをする。メディスンボールとゴムボールを使ってのプライオメトリックトレーニングを松元君とやり汗だくなる。久しぶりの筋肉刺激に爽快であった。
13:30モンク父が小生を空港に送るために来てくれる。モーテルに帰りシャワーを浴びて空港へ。モンク父はゆっくりで良いと言いながらギリギリの時間にしか着かなかった。少し後悔したようである。
ニュージーランド国クライスチャーチ市
長男誠太と出口君
15:25フリーダムエアーと言って格安の航空会社で通常の4分の1くらいでクラストチャーチまで行ける。(往復¥9,000)しかし、スカイマークと一緒でサービスは無し。70分のフライトで行く途中、窓から山を観ると万年雪が積もっている山脈があった。ここは考えたら南極に近いところで探検隊の出発地がニュージーランドにはあるとのこと。空港に着くと出口先生、長男誠太が迎えに来ていて久しぶりの再会。以外と元気そうでやっていた。現地で英語の勉強している波多さん、田中さよ子さんをピックアップして出口邸に。何とこれが豪邸で25万坪の敷地に10部屋はあるかと思う家である。庭にはゴルフ場もあり池と川を作っていた。羊を20匹とアーモンドなどの木々を植えて楽しんでいた。大阪では中古販売をして見切りをつけここに新天地を見つけに来たのだという。一億円くらいで購入したのだと言うが、日本ではとんでもない価格だ。現地の元ナショナルコーチの方を呼び小宴を開いてくれた。
23:00程良く酔った出口先生がやっと風呂に進めてくれたので誠太とゆっくり話する。何と彼女が出来たようで、写真を見せてくれるが先日、日本に学校のために帰ったようだ。つかの間の恋であった。彼女より勉強せいと叱る。本人はみんなには黙っていてと言うが見せたいようだ。24:00就寝。
8月28日(火)快晴
10:00に起こされる。余りに静かだったので本当に久しぶりにぐっすり眠った。誠太も同じだという。朝食を頂き、誠太の銀行関係の収支・今後の支払いなど打ち合わせる。出口先生は会計には銀行の出金表を渡してくれてちゃんとしている印象である。有り難い。
ニュージーランド国クライスチャーチ市
出口邸にて 長男誠太と
家の廻りを案内してくれたがあまりも広いので驚いた。400?四方あるとのこと。町に出て案内して貰う。こじんまりとした町だが留学生が多く活気があった。誠太が言うには遊ぶところがないので飽きてくるとのこと。勉強には良いところと言っておいた。誠太の次のCCL英語学校に見学。大変設備が良いところで、出口先生が言うには一番とのこと。
これでホームスティーが食事が良ければと誠太が祈っていた。次にリンカーン高校に行って先生に挨拶。田舎の学校でバスで30分ぐらい掛かるところにあり、何にもない町にあった。本当に勉強するだけであろう。まあ、町に出れば一応何でもあるのでいい環境だ。ただ、すぐにでもスポーツは始めるよう注文する。空手道場は余り良いのがないとこぼしていた。出口先生の娘が二人おり同じ高校なので安心だが、余り日本人との会話ばかりではと心配する。
出口家族に空港まで見送っていただく。誠太と二人でフリーダムエアーに17:10発乗り込む。オークランド空港ではモンク父が待っていてくれた。WKFのテクニカルコニュミティの役職にある方だが60歳代なのに離婚していて20歳代の日本人女性と付き合っているのだそうだ。親子して日本人好きなのである。学生達は貸し切りバスで、3時間ドライブしロトルアという町まで行き、羊の羊毛カット、温泉など見学する観光であった。19:00頃帰ってきている連中と会う。誠太が久しぶりの再会に喜んでいる。モンク氏の家で中華料理をデリバリーして頂き、ご馳走になる。
22:00モーテルに帰り、誠太にもベッドをあてがって貰いもう一部屋借りていただいた。女房に電話するが退院して自宅に一人で居たのかすごい勢いで色々なことをしゃべりまくる。東京に預けた子供達もすぐ帰ってこなかったようで文句を言っていた。それにしても元気で良かった。でもまだ石は残っていて水分で流すしかないとのこと。これを口実にまたビール三昧にならないよう釘を差す。24:00就寝。
8月29日(水)曇り
09:00起床。朝からここのジャグジー風呂にゆっくりと浸かる。自宅にも欲しいものである。松元君がコーヒーを飲みに来たので、昨日自宅から苦情が来たことを伝える。電話を掛けることだろう。午前中、誠太と松元君と道場から借りている車でショッピング。キングハンバーガーを買ってきて貰う。余り旨くない。
13:00モンク道場に行き13:30からの空手ビクスを受ける。その後筋力トレーニングを誠太・宮島と行い、15:30ジュニアクラス・16:00ジュニア大・17:30空手ビクス・19:00−21:00大人のクラスと全て誠太は受けていた。松元監督も今日は良く指導したと思う。小生は見てばかりだったので「東京」日本レストランに連れていき、目一杯食べさせる。またマスターがしゃぶしゃぶの肉をたくさんサービスしてくれるので腹一杯食べた。23:00モーテルに帰りメールチェック。今日はよく寝れそうだ。
日本の友人に送ったメール感想文
ニュージーランド国オーランド ドウエイン・モンク氏の道場にて
拝啓、いくぶん涼しくなった日本と聞きました。お元気のことと思います。さて、フィジー共和国からニュージーランド国に移動し、ここオークランドにて近畿大学工学部空手道部との合同合宿のご報告申し上げます1642年オランダの探検家アベル・タスマンが発見し故国オランダのゼーランド地方に似ていることから命名しました。1769年にキャプテン・クックによって再発見されたこの島に捕鯨や木材を求めてイギリスが先住民マオリと結んだのがワイタンギ条約です。色々な抗争・伝染病の渡来があり現在380万の人口の内マオリ族は13%に減少しています。日本の7割に当たる国土に対して、平地が多いため人口密度は50分の1と世界でも希な大自然を残した美しい国でしょう。現地連盟のご厚意で各選手ホームスティーを経験し、冬にあたる涼しい気候・文化的な都会のオークランドを楽しんでいます。暖かいところを好む先住民のマオリ族の人間はここには少ないようで美しい街アメリカのシアトルのような印象を受けました。ニュージーランドと言えばラグビー王国「オールブラックス」で先日も南アフリカを一蹴して国民に大人気です。女性に人気のある珍しいスポーツ「ネットボール」というのも盛んです。最後に今度の土曜日に開催されるグッドウィル親善大会大会に向けて、良い成績が残せるよう松元監督と頑張ってきます。のびのびとしたオークランドより。ご自愛下さい。
8月30日(木)曇りのち雨
8:30起床。誠太がなかなか起きない。09:00集合なのでバタバタ支度していく。松元君と道場近くの喫茶店で朝食。二人で1200円ぐらいなので日本より物価は安い。バスをチャーターして貰い一人¥3,300負担で観光に行く。あいにくと雨模様で快適とは行かないがまず、水族館(海底散歩道路)を見学し、オークランドシティにて昼食。なかなかの町である。次に動物園に行って2時間を頂くが小生は寒いのでバスで本を読んでゆっくりする。
ニュージーランド国オーランド市をながめる丘にて全員で
16:30道場に帰り、ホテルに戻る。宮島君と誠太がモンク先生宅に今夜からお世話になるので荷物を引き取りに行く。モンク夫婦は楽しみにしているとのことでオークランドに友人を作っていることも今後役に立つと思うのでお願いする。
18:30道場集合の上、2時間の稽古。現地練習生と有意義な稽古だった。数名はナショナルチーム選手もいて良い動きをしていた。21:00終了。モンク先生宅で夕食をご馳走になる。誠太と宮地がホームスティーさせていただく。01:00ホテルに帰り就寝。
8月31日(金)晴れ
8:45起床。モーテルの締め切りギリギリに朝食を食べに行く。
ニュージーランド国オーランド スカイタワーより松元監督と
10:00−12:00モンク道場にて練習。明日の試合を意識して気合いの入った練習だった。その後ウエイトトレーニングに汗を出す。午後三時ぐらいからモンク先生が港の岡など連れていってくれる。ビクトリアハーバーで三男にオールブラックスのジャージ上下と帽子を買った。かっこいい物である。スカイタワーにも登り、素晴らしい景色を堪能した。20:00から「東京」で連盟の関係者を呼び、お礼の夕食会を催す。やはりモンク親子が一番に感謝したいところである。モンク・トォエイン先生は9月に日本に来るとのことで、歓迎して上げたい。出口先生と松元君にてモンク先生がシティーのバーに連れていってくれる。騒がしいだけで何のことはなかったが若い人達でいっぱいだった。02:00モーテルに帰り寝る。
9月1日(土)曇りのち雨
08:00起床。いよいよグッドウィル親善大会だ。午前中高校の体育館を借りてあるが、マオリ族の歓迎の儀式を受けなければ使用させてくれないとのことで、儀式堂に選手と集合する。ラグビーチームもよくやる四股立ちしてのガムバッテ・ガムバッテと叫ぶ独特のデモンストレーションである。マオリ族の人達が歌を歌い、気合いの入った歓迎の儀式だった。最後にこちらでは鼻をお互いに付ける動作が挨拶とのことで、全員に鼻をひっつけたが、男性相手にはひるんだ。
午後いよいよ大会が16歳以下から始まった。何と誠太が三位に入る健闘を見せたが、優勝者は13歳の中学生だった。ずいぶんがっくり来ていたようだ。女子では何とか佐藤が優勝。男子白帯クラスでは森下が準優勝。黒帯重量級では近大の片岡が優勝。軽量級では茅原が優勝。団体戦は男女ともニュージーランドナショナルチームが優勝となった。福大だけでは持たなかったので近大に感謝である。ニュージーランドにも良い選手がいると感じた。19:00終了。大会後現地の選手のご父兄の好意でバーベキューさよならパーティーを催していただいた。プールのある大きな家で100名くらいが集まり楽しいひとときだった。誰かが寒い中プールに飛び込んだので、誠太を始め選手を捕まえては投げ込んだ。15人くらい投げ込んだろうか。ホットスパもあるので暖まることが出来て喜んでいた。01:00モーテルに帰りスーツケースの荷造りをする。02:00就寝。
ニュージーランド国オーランドにて対抗戦を終えて
9月2日(日)曇りのち晴れ
08:30起床。モンク道場にスーツケースを預け、温泉プールセンターに遊びに連れていって貰う。幹事達は町にお土産のショッピング。教会にお参りに行くものも出て夕方まで各自自由となった。出口先生とゆっくり今後のことも話し合うことが出来て良かった。
ビールとワインを飲みながら温泉に入ったので湯あたりしたようだ。モンク先生からマッサージなどのサービスも受ける。余り旨くなかったが。16:00オークランド国際空港に集合する。地元ホームスティーの皆さんと別れを惜しみ、挨拶しあとにする。みんな本当に最後まで付き合っていただいて良い方ばかりであった。これもモンク先生の人柄であろう。18:00ナンディ経由ソール行きKE822便に乗り込む。ナンディで少しだがお土産を買う。約10時間の旅は寝てばかりいた。
9月3日(月)晴れ
06:00ソール着。空港にて近大チームと別れるので解団式を行う。振り返ればアッという間の13日間だった。色々とお世話になり感謝ばかりである。選手一同にはお礼のハガキを書くよう指示して解散する。08:40発の福岡行きに乗り込む。福岡国際空港11:00着。残留部員とコーチが迎えにきていてくれたので、一風堂のラーメンで無事帰国の祝いをする。
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