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高橋優子のアメリカ・ |
5月27日(火) 今日は山崎先生のご好意でアメリカの雑誌の取材を受けさせていただいた。ホテルからスタジオへ向かう途中、みんなでいわゆる『朝マック』をした。ダブルバーガーを頼んだらハンバーガーが二つきた。そういうダブルかよと思ったがおいしくいただいた。食べ終わって外にでたとき、突然井出さんが『さっきのはちょっとないよね・・。』と言ってきた。なんのことか意味がわからなかったので、聞いてみると、ハンバーガーを頼んで席に着いたとき、こんな朝ッパラから西村先生が得意(?)の駄洒落を発したらしい。誰一人ウンともスンとも反応せず、「白ける」にも達しない空気が流れて、珍しく西村先生にショックの色が見えたという。しかしそれに気づいたのは井出さんだけで、私は先生方にジュースを運んだり色々働いていたので気が付かなかったんですよー!ということにいておいたが、そう言われればなんか右耳から入ってこようとした駄洒落があった気がしないでもない。でも鼓膜が振動しなかったみたいで全く覚えてない。ごめんなさい・・。(でもそういう井出さんもどんな駄洒落だったか憶えておらず、最終日まで「なんだったっけなぁ!」と頭をヒネっていたが結局思い出せずにいた。) 山崎先生は「あれぇ」といった。道を間違えたらしい。文字通りUターンUターンUターン・・・・・・着いた。立派な事務所で入り口のところに今まで販売してきたビデオがたくさん並んでいた。その中に一目で笑えるビデオの表紙があり一生懸命写メールした。並んでるビデオひとつひとつ見て選りすぐりを一生懸命撮った。この人、ホントに強いの?と疑いたくなるようなビデオもいくつかあってかなり笑えた。 その後、道衣に着替えて撮影したが、本当に苦しくて苦しくてひきつけをおこしそうだった・・。なにが苦しいって阿部先輩の顔がおかしすぎて笑いをこらえるのに苦しかった。撮影は国分先輩の「一本技」と「三本技」だったが阿部先輩は『やられ役』という重大な任務をまかせられた。まったく天才的な Actorだった・・・。私は阿部先輩のカメラを借り必死にシャッターをきった。初めは直視できず、その場にうずくまりプルプルプルプル震えていたが、撮影が進むうちに無我夢中になり、撮ってるカメラマンの前に出て行きそうになった。それほど魅力的なお顔で視線はもう釘付けだった。カメラマンも英語で『彼はすばらしい!!』と絶賛だったが、撮りながら阿部先輩の顔をみて笑いをこらえきれず噴出していたのを私は見ていた。どんな仕事でもベストを尽くす阿部先輩に本当に(血圧は上がったが)頭が下がった。無事終わり、私もついでに写真を撮っていただいた。高校の石川忠昭先生から高校に飾るから写真をもってこいと言われていたので、せっかくなら良い写真をと思ったからだ。阿部先輩のあとではかなりのプレッシャーで無難な表情になってしまったが、さすがプロ、モデルはともかくとして良い写真ができた。井出さんも御用がすんだみたいでみんなで帰りの用意をした。 山崎先生は「あれぇ」と言った。しゃべってたら通り過ぎてしまったようだ。そのまま遠くのビーチにおろしてもらい、車のなかで「じゃ、六時にお迎えお願いします。」ということになっていたが・・・。六時って、今二時になるとこじゃん?って思ったけど私に発言権はない。6時半くらいから練習って言ってたし、まさかこのメンバーでビーチバレーするわけでもあるまい。そんな時間を潰せるか心配だったが、とりあえず腹ごしらえをしようと近くのお店に入った。西村先生と井出さんがビールを頼んだら優勝カップみたいなので出てきてビビった。ありゃあデカ過ぎる。ウケを狙っているとしか思えない。金魚が何匹飼えることやら。 隣の席に座った小錦とはるくらいでかいおじちゃんは、私たち五人で二つ頼んだ盛り合わせセットみたいなのを凄まじい量のポテトと一緒に一人でムシャムシャ食べていた。 お腹いっぱいになったところで店にでたが、雲行きは怪しく、かなり寒い!水着どころではない。「高橋寝るぞ!」と張り切っていた西村先生はホテルのバスタオルを轢いて寝転がった。私もその隣に寝た。少したつとタンクトップの西村先生はサミイサミイと言いだした。まあジャンパーを着ている井出さんがちょうど良いくらいだから当たり前。終いには寒いから私が上にかけていた、初日に買った水着の腰に巻く風呂敷みたいなやつ(風呂敷ってあんたぁホントに20代のお嬢さん?って感じではありますがよくわからない。)を貸してくれと言いだした!世界の西村大先生の要求を『イヤですぅ!貸しませんよ!』とお断りした。イヤだー!と断り続けていたが、ちょっとおとなげないなと思い、しょうがない広げて親子のように揃って寝た。その間に井出さんはさっそく大好きなビールを買いこみ飲んでいたが、パトカーが来たら「浜辺で飲んじゃいけないんだよ!」と隠していた。 結局寒いということで、物足りなげな井出さんを強引に連れて、浜辺には1時間とおらず帰ることになった。しかし山崎先生の携帯番がわからない、ホテルの番号もわからないという始末。タクシーを探すにも見つからず、ウロウロしていたが、そこはやっぱり阿部先輩でグルグル周り、タクシーを手配しやっと帰ることができた。ホテルに帰り少し休んだ。 練 習 山崎先生の道場へ入ると子供達が集まって練習をはじめるところだった。紹介していただき、隣の合気道の部屋をおかりした。私達日本の4人に3人の外国人のかたで練習した。最初の目ならしで西村先生の廻し蹴りの親指が右の目に命中した。激痛とともにパタリと倒れた。すっごく痛かった・・・。「高橋、コンタクトか?」と聞かれ「いや目の玉です。」と答えたかったが「押忍コンタクトです。」と答えて抑えてた。優しい国分先輩が洗面所に連れていって下さった・・。ヒリヒリというかしみるというか、とにかく目が開かなかった。黒目が二つに割れたかと思うほど痛かったから、どうなってしまったかと不安だったが、目は真っ赤だったものの外傷はあまりなく、案外丈夫に作られているなお母さんありがとうと思った。そういやこの間ナショの合宿の時、不意を突かれ西村先生の中段をくらい吐いた。その時トイレの鏡に写った自分をみて「・・・。」まあ言葉もナク・・・。漫画だったらどんなコメント入るんだろと思いながら練習へ戻った。今思うと結構ウケる。しかもそのあとは悔しかったから先生が中段突くのに合わせてオリャーと前に入り「ナイス中段ですぅ」などと「負け犬の遠吠え」に近いささやかな反抗に精をだしていた。 アメリカに話を戻すが、西村先生は練習後国分先輩を立たせて蹴りの練習をしていた。・・が、・・・よくわからないがなんか『前転みたいに一回転して脳天にカカト落とし』だ。国分さんもたまったものではない。頭のテッペンに気持ち程度につけた拳サポの手をのせ、ギュッと目を瞑って立っていた。バチンっと見事に極まってすごぉいっ!と思っていたら二コリと微笑み一言、『良かった。この間これでアゴ骨折させっちゃったんだよね。』っておい!!こっちサイドは決して笑えないぞ!と突っ込みたかったが目が痛いのと途中抜けたという自分にテンション下がりっぱなしの私にそんな元気はなかった。しかもその後、「これを刻みに合わせるんだ。」っておい!!ホントに使う気??っと突っ込みたかったが目が痛いのと途中〜〜元気はなかった。とにかくすごい先生と思います・・(←これはあくまでフォローです) 夜は夕食をおごるという約束で練習時間お休みしていた井出さんにロブスターをご馳走になった。すごくおいしかった!!そこでは空手の話で盛り上がった。中に空手の話でもどちらかと言うと、(というか丸っきり)知らないし興味がなかった分野の話があったが聞いていてすごくお勉強になったし楽しかった。ホテルに戻りバーで昨日も飲んだジントニックで一杯し部屋に戻った。ホテルの部屋から中庭のプールがライトアップされて見える。あまりに綺麗だったからずっと見ていたかったが、明日は大島先生のオウチにいくため朝早い。寝ることにした。おやすみなさい |