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高橋優子のアメリカ・
カルフォルニア日記

5月26日(出発〜到着)

5月27日

5月28日(大島先生大豪邸)

5月29日(ディズニーランド)

5月30日(パーティ)

セミナー、大会当日、帰国

追伸

5月26日出発
 五月病もピークをむかえる5月26日。『10時05分発のスカイライナー』に乗る予定で、本当に顔に似合わない「ピンク」のスーツケースを持ち、日暮里で国分先輩を待っていた。「ギリギリに着きます!」というメールのとおり、国分先輩は10時3分30秒くらいにやってきた。急いだからか暑そうで少し汗ばんでいらっしゃったが、間に合うのかっ!?と、ドキドキして待っていたわたしの脇汗は汗ばむどころの騒ぎではなかった。しょっぱなからやってくださる国分先輩に旅の期待は高まりました。
今回の遠征の目的は、アメリカの山崎清司先生の道場、良武会の国際大会に出場するためだ。詳しくは良武会ホームページhttp://www.jkr.com/か、西村先生のホームページに載っているのでご覧くださいませ。
 成田で北海道の阿部先輩と合流し、二度目の朝ご飯をご馳走になり飛行機を待った。今をときめくJKFanの井出さんもアメリカへ行くらしく、アメリカで合流しようということになった。私は井出さんとお話させていただいたことがなかったが、国分先輩と阿部先輩が「井出さんと一緒だと楽しくなるぞ!」と言ったので楽しみだった。
アメリカでは山崎先生のご好意で、国分先輩(社長)と阿部先輩(専務)は良武会道場に寝泊り、イチ、平新入社員高橋は「お医者のおうちにホームステイ」というなんともスペシャルな予定であった。私は早速「アメリカ指差し会話帳」を購入しどのページにどの項目があるかを必死に覚えていた。「ホームステイ」という響きにかなり酔いしれていたと思う。
三度目の朝ご飯を食べ、いよいよ飛行機に乗り込み日本を離れた。

5月26日到着
 ロサンゼルスはテロの関係でかなり警備が厳重だった。靴まで脱がされ厳しいボディチェックをうけ、パスポートを確認するところでは色々と質問された。係りのお姉さんに「何しにきたの?」と聞かれ、外人さんは組み手試合のことを「ファイト」と言うから、ついコブシを握り締め「ファイト!」と言ったらお姉さんの顔が一気にこわばった。よく考えたら「ファイト」は「戦う」という意味で、テロを警戒しているって言うのにそんな危険な発言するんじゃないこの小娘が!という感じ。何と答えたらいいのだろうと迷ったので、ここで登場するのが『指差し会話帳』!!『指差し』だけに国分先輩を指差し、「秘書だから一緒にきた。」と言った。お姉さんはニコリともせずパスポートをポイッと投げてよこした。国分先輩は当然のように何かの検査に引っかかりどこかに連れていかれた。荷物を取って国分先輩を探すと米粒大くらいの国分先輩がはるか遠くに見えた。でっかくて怖いお兄ちゃんに囲まれ何か書かされている姿を見て、「〜の星のしたに生まれる」という表現をよく使うが、まさに国分先輩はその「〜」のしたに生まれてきしまったのだろうなと思った。決して外見が怪しいわけではない。非常に言葉に表しにくいが、「常にそんな感じ」なのだ。「俺、前も入れてもらえなかったんだ・・。」と言っておられた。
 う〜ん・・・・・。
 空港にはすでに山崎先生が迎えにきてくださっていた。西村先生は二時間後に到着されるので空港で山崎先生のお話を色々聞いた。そのなかで、フラメンコの話があった。
 私が日本でナンバーワンです!というフラメンコのプロのカスタネットですら、本場スペインでは、道端で踊っているような踊り子のカスタネットの足元にも及ばないらしい。どんなに教育をうけ練習しても、たたくリズムや音の響きが全く違う。それはなぜだろう。不思議に思って道で踊っている彼女に聞いたら、一言、「流れている血が違うんだよ」といわれたそうだ。
 私はこの言葉を聞いて頭がピカーン!となった。クイズ番組の「ピンポーン!」の帽子くらいの衝撃があった。(表現が一昔前ですみません)それまでは、なんだか知らない世界の難しい話で上まぶたを引っ張る筋肉君もお疲れサインを発してしたが、一気にパッチンと目が覚めた。空手も同じだ。私は空手界のことはよくわからないが、最近の空手事情を聞くと空手界のなかでの日本という国は、その他大勢の中の一つになってしまうのではないかという感じを受けていた。しかし、どんなに外人が空手界に進出しようとしても、ルールを変えようとも、発祥地である日本で生まれ日本で育ち日本で習った日本人は流れてる血が違う、やはり日本を越えることなどできないんだと思った。・・・まぁ勝ち負けとなると一概には言えないし色んな諸事情はあると思うけど・・。
 そんなこんなで西村先生とも無事合流し、車に乗り込んだ。しかしここにきて、私のホームステイ先がなんと一人暮らしの若者の家だ、という始末。しかもかなりのプレイボーイ(日本では死語です。)らしい。私は喜ん・・じゃなかった驚いて、はしゃいで・・じゃなかった騒いでいたら、「でも一昨日から連絡が取れない。」らしく、結局ホテルをとってもらうことになった。がっか・・じゃなくてホッとした。(はい、しつこいですね。)
 死語といえば車のなかで山崎先生が「ミーちゃんハーちゃんが・・・」と言っておられた。(一瞬ピンクレディのことかと思ったけど)それってもしかして『ミーハー』ってやつ?と思いながら『ツーフー』(痛風)だったら・・などといらんことを色々考えていた。
 昼はアメリカなのに『来々軒』でラーメンを食べ、国分社長も阿部専務も結局ホテルをとるということで一緒にむかった。ホテルはベリーナイスで、中庭にはプールがキラッキラと輝いていた。「カルフォルニアへくるのに水着を持ってこない馬鹿がいるのか!」と言われ「そんなん知らないよぅ」とふてくされつつ西村先生の勢いに負け、一度も着ることのない運命の水着を買ってしまった。(お父さんがくれたオコズカイ、無駄にしないように今年は海にいきます。)部屋は7階ですばらしく眺めがイイ。
夕ご飯は山崎先生の自宅でワイフの手料理をいただくことになった。

山崎家
 山崎先生の自宅に着いた。テレビにでてくるような可愛らしい素敵なおうちで感動した。分厚い肉を焼いてもらってる間に庭で西村先生に教わってゴルフの練習をした。西村先生は上手で、まるで明後日の方向に飛んでいたゴルフボールも西村先生に教えていただいたら真っ直ぐ飛ぶようになった。山崎先生のワイフの料理はすごくおいしかった。お味噌汁も用意してくれた。まだ食うのかいってほどおかわりした。とってもおいしかった。